人間の運命と自由について。アキュバルの考察
占い界、ひいてはインド占星術界隈でもよく耳にする言葉がある。
「人生の7割は運命、残り3割は自由意志」
というものだ。
だから鑑定で悪いことを言われても、努力で運命は変えられるのだから気にするなという意味合いで持ち出されることが多い。
実は、僕はこの言葉がいまいち腑に落ちていない。
昔から当たり前のように唱えられている定説を「そういうもの」として流すことができない性格で、どうしてもそこに何らかの身体的な実感を得たいと思ってしまう性分なのだ。
あるセミナーの時に「7割は運命~」のフレーズについて清水先生にこの解釈は伝統的なものなのですか?と聞いたら「そうです」とのことだった。
実際にインド占星術でも何度も繰り返しホロスコープに現れるような兆候は「運命」、それほどでもないものは「自由意志で変えられる」領域だとされている。
こういう「運命か、自由意志か」みたいな話になると個人的に必ず思い出す言葉がある。
それは武術研究家・甲野善紀先生の「運命は完全に決まっていて、同時に完全に自由」という言葉である。
甲野氏はこの一見矛盾している命題について、量子力学を例にとって説明する。
光や電気といった様々な物理現象が、粒子のような性質と波のような性質をあわせ持つという、有名な「粒子と波動の二重性」だ。
つまり、運命というものもそれと同じで、「決まっている」「決まっていない」どちらかに決めることはそもそも不可能なのだと。論理的には矛盾したものが同時に成り立っている、それがこの世界の実相なのだということである。
この考察に比べてみると、「運命の7割は~」の決まり文句はどうしても「軽く」感じられてしまう。なんというか、いかにも人間が頭の中で考えだしたロジックだという気がしてしまうのだ。
では、運命の実相とはいかなるものなのだろうか?
このことを考えるうえで影響を受けたのが、清水先生が紹介してくださった『バガヴァッド・ギーター』の説話である。
すでに読んだ方、おおまかなあらすじを知っている方も多いとは思うが、『バガヴァッド・ギーター』はパーンダヴァ軍の王子アルジュナと、彼の導き手であり御者を務めているクリシュナとの間に織り成される二人の対話という形をとったヴェーダの聖典である。
敵方に恩師や家族がいるため戦いに赴くことを逡巡するアルジュナにクリシュナは過去・現在・未来を見渡す力を与え、戦いの末にアルジュナが勝利し、この地に平和をもたらすことを確信させる。
そして「迷いを捨てて戦え、アルジュナ」と戦地へ送り出すのである。
しかし不幸なことに、12日目にアルジュナの息子アビマニュは敵将ドローナの策にかかって戦死してしまう。アルジュナは息子の死を知り、深く嘆き悲しむ。
ここで肝心なことは、クリシュナがアルジュナに見せた未来のヴィジョンの中にアビマニュの死の予兆はなかったということだ。
なぜか?
クリシュナがそれを意図的に伏せたからだ。
もし戦いの前にアルジュナが息子の死を知ったならば、彼は悲嘆に暮れ、戦いに赴くことができなかったかもしれない。
僕はこの説話を聞いた時、「残り3割」はこれなのかもしれないと思った。
つまり、われわれの運命はクリシュナ(神)によってすべて決められている。しかし、そこには「隠された領域」がある。どんなにわれわれが知ろうと望んでも、たとえ占星術を使っても、人間には決して覗くことのできない領域が。
それは、おそらく神の優しさでもあるのだろう。
すべてを知って人間が生きる希望や活力を失わないようにと。
つまり、現在の僕の仮説としては「人生の7割は運命、残り3割も運命。しかしその3割は隠されている」ということになるだろう。まあこればかりはわからないが、このあたりが自分にとってインド占星術を学ぶ強い動機になっているのは間違いなさそうだ。
こういうことにどれくらい興味を持っている人がいるのかわからないが、また気が向いたら記事にしてみたいと思う。
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