機能的吉凶をアインシュタインで検証してみよう
- blueastrologer
- 1 日前
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前回の記事では、インド占星術のリーディングの基本となる惑星の機能的吉凶について解説しました。
今回は、この機能的吉凶がダシャーに実際にどのように作用するかをみなさんと一緒に見てみようと思います。

このブログでもたびたび登場しているアインシュタインのホロスコープで検証してみましょう。
まず、ラーフ・ケートゥを除くすべての惑星で機能的吉凶を出してみてください。
ルールは以下の通りでしたね。
(支配するハウスー吉凶)
1- 吉星
2- 中立
3- 凶星
4- 中立
5- 吉星
6- 凶星
7- 中立
8- 中立
9- 吉星
10- 中立
11- 凶星
12- 中立
詳細は前回の記事をご覧ください。 さて、すべての惑星の機能的吉凶を導き出せたでしょうか?正答は以下の通りです。

土星が吉星?と疑問符が付いているのは、前回述べた通り。定義上は機能的吉星でも、ネガティブな要素の強い8室を支配することの影響は考えなければならないからです。 実際には在住するハウスや惑星の品位(Dignity)、絡む惑星など、考慮に入れなければいけないことはたくさんありますが、まずはシンプルに考えてみましょう。
機能的に吉星でありながら、さらに生来的にも吉星であればベスト。
機能的に凶星であり、さらに生来的にも凶星であれば、その惑星の凶意は増します。
そういう意味で、もっとも吉意が強いのはどれで、凶意が強いのはどれか?
おそらく、金星が最も吉意が強く、火星が最も凶意が強いということになるのではないかと思います。
機能的吉凶でダシャーを解釈する

こちらがアインシュタインのヴィムショッタリ・ダシャーです。
以上のことを念頭に置いたうえでダシャーを見てみましょう。
彼の金星期は1985年から1915年、16歳から36歳の期間です。
アインシュタインは幼少期から幾何学を独習し、物理学に関心を示すなど高い学習能力を示していましたが、学校においては伝統的な教育スタイルへの反発から教師と常に衝突していました。
しかし、まさにケートゥ期から金星期に移る1985年に、スイスの最高学府の工科大学である連邦職業学校(現・スイス連邦工科大学チューリッヒ校)に条件付きで入学資格を得ます※。 卒業、彼はベルンのスイス特許庁に3級技術専門職(審査官)として就職し、学友のミレヴァと結婚。さらに「奇跡の年」と呼ばれた1905年には3つの重要な論文を発表し、1910年にプラハ大学の教授に就任しました。
この金星期が、アインシュタインの私生活と研究を大きく進展させた重要な時期であったのは明らかですね。
この金星について付け加えるなら、ケンドラの10室で高揚しているため、マラヴィヤ・ヨーガという素晴らしいコンビネーションを形成しています。
マラヴィヤ・ヨーガについてはこちらの記事をご参照ください。
では、凶意の強い火星の時期はどうだったのでしょうか?
火星期は1931年から1938年、52歳から59歳の時期です。

月期に欧州各国や日本などを訪問し、ノーベル物理学賞を受賞するなど大きな成果を上げていたアインシュタインでしたが、火星期に移った直後の1932年、ドイツでアドルフ・ヒトラー率いるナチスが政権を獲得。パシフィスト(平和主義者)であったアインシュタインはナチスの標的となり、以後アインシュタインはドイツに戻ることができなくなります。その後国家反逆罪に指定されたため、アインシュタインはアメリカで永住権を獲得しますが、1936年には再婚相手のエルザが死去しています。
まさに身に危険すら及ぶ、激動の時期だったといってよいでしょう。
惑星の機能的吉凶がダシャーの内容を左右するという一例でしたが、皆さんはどのように考えられたでしょうか?
ちなみに凶意の強い時期としてアインシュタインの火星期を例に挙げましたが、それでも「悪い」という一言で塗りつぶせるものではありません。 火星期にアインシュタインは「量子力学と相対性理論の矛盾」「アインシュタイン=ローゼン橋」など、重要な研究成果をいくつも発表しています。 これは火星が「研究」の8室に在住し、さらに高揚していることも大きいでしょう。 まさに「吉凶(禍福)は糾える縄の如し」。 インド占星術のリーディングは複雑ですが、それはインド占星術が複雑だから、というだけではありません。それは私たちの人生、そしてこの世界そのものが、決して一筋縄では解釈できないものとして在るからなのでしょう。
※ 総合点が合格基準を満たさず不合格となるが、校長はアインシュタインの数学と物理の点数が最高ランクであったことを考慮し、ギムナジウムのアーラウ州立学校への通学(中等教育レベルの諸知識の再習得)を条件に翌年度の入学資格を与えた。



