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短編小説『ヴァーラダの占星術師-砂に描かれた運命』

  • 執筆者の写真: blueastrologer
    blueastrologer
  • 4月3日
  • 読了時間: 41分

更新日:4月14日



7年前にこのウェブサイトを立ち上げた時、僕はJyotish(インド占星術)を正しく伝えるだけでなく、この場所を訪れた方たちが何らかの「物語性」を感じられるようなデザインにしようと思っていました。

そして誕生したのが、「放浪の占星術師と二匹の古代竜」というイメージです。


あれから7年の時を経て、その時から僕の頭の片隅にあった物語は「短編小説」というかたちへと結実しました。

しかし、AI小説家・青野圭司さんnoteに書き記してくれた多くの示唆がなければとても書き上げることはできなかっただろうと思います。そして何よりもClaude 3.7 Sonnetの力には本当に助けられました。


作品は小説投稿サイト『NOVEL DAYS』等で掲載していますが、こちらの個人ブログでも掲載しようと思います。

約2万字の短編ですが、お時間ある方はよければご笑覧ください。もしご感想などお寄せいただければ、大変励みになります!

(4/14追記:公開後、上記サイトの総合ランキングで最高2位、2000PVを超えました)

※地名・人名などは架空のファンタジー小説ですが、占星術の技法・用語はすべて実在するものです。

※登場人物のアキュバルの設定はあくまで創作であり、著者個人とは関係ありません。



『ヴァーラダの占星術師―砂に描かれた運命―』


第一章 ヴァーラダの占星術師


 広大なヴァーラダ国の南部に位置する商業都市ダル=ダラン。街は夜明けとともに目を覚ました。
 早朝の光が大理石の塔と色彩豊かな市場に降り注ぐ中、その青年は中心街の路地裏に位置する宿の一室で天体図(ホロスコープ)を広げていた。砂時計の砂が静かに落ち、香が薄い煙を立てて燻っている。甘く鼻をくすぐるシナモンと琥珀の香りが部屋に満ちていた。窓の外からは露店を開き始める商人たちの声と荷馬車の車輪が石畳の上を転がる音が微かに聞こえてくる。

 彼はこの土地の人間としては、やや風変わりな出で立ちをしていた。よく日に焼けた肌に黒い瞳、艶やかな黒髪の上には赤い鳥の羽根が付いた布を巻き、厚手の深紅のマントを羽織っていた。年齢は二十代半ばといったところだろうか。彼の細い指が、かつて西方ファールズの国から命がけで持ち出した古い羊皮紙の上を滑るように動いた。その羊皮紙に示された奇妙な図表を見れば、彼が古代から伝えられる占星術「Jyotish(ジョーティシュ)」の読解に長けた人間だということがわかる。
 羊皮紙は時の経過とともに黄ばんでおり、触れると乾いた葉のようにかすかな音を立てた。

「依頼人は四十八歳・・・この年には・・・」
 青年は独り言のように呟いた。
「アキュバル。また独りで話しているのか?」
 猫ほどの大きさの黒い竜がアキュバルの肩に這い上がった。なめしたかのような漆黒の外皮。一見蜥蜴のようにも見えるが、どこか禍々しさを湛えた容貌は、確かに伝承に伝えられる竜の姿そのものだった。炎のような赤い瞳が好奇心に満ちて輝いている。彼は尻尾を振りながら、アキュバルの計算を観察していた。
「四十八歳なら、その生涯の半分以上をすでに生きている。ならば彼の生涯の黄金期はとっくに過ぎているかもしれない。それを知ったとき、どんな顔をするだろうな」
 黒い竜は笑みを浮かべた。
「絶望だろうな。あるいは・・・怒りか?」
「黙っていろ、ラーフ」
 アキュバルは低い声で言った。
「お前のおしゃべりは集中を妨げる」
 ラーフは喉の奥で笑った。その笑い声は頭上で鳴る雷のような鋭い響きを持っていた。
「お前はいつも真面目だな?もっと遊ぶべきだ。人生は短いぞ」

「その通りです」
 透き通るような白色の竜がラーフと反対側の肩に現れた。背中からは白鳥のように優美で繊細な羽根を生やし、その青い瞳はどこか深遠な知恵を宿していた。
「しかし、命の短さこそが、その一瞬一瞬を尊いものにするのです」
 白い竜は時折その大きな翼を持て余すように羽ばたかせ、そのたびに涼やかな風が立った。
「わかったわかった。ケートゥも、この仕事が終わるまで静かにしていてくれ」
 アキュバルは肩を震わせ、二匹の竜を振り落とした。彼らは空中に浮かびながら、くるくると回転して戻ってきた。

 彼はホロスコープの示す複雑な相関関係に集中し、葦(あし)の筆で何やら細かく書き込んでいった。太陽と月の位置、火星の軌道、そして土星の影響力。すべてが物語を紡ぎ出す。筆が羊皮紙の上を滑る音は、まるで雨が軒先に当たる音のように繊細だった。
ラーフは退屈そうにあくびをした。
「彼は商人だ。しかし、たかが一介の商人だぞ。なぜそんなに時間をかける?もっと金持ちの客を見つければいいのに」
 アキュバルは答えなかった。彼の目は星々の物語を読み解くことに没頭していた。これがいわば彼の運命だった。いにしえのジョーティシュの技術は彼の手の中で息づいていた。

 ジョーティシュとはヴァーラダの地で古き時代より継承されてきた星読みの術、いわゆる「占星術」である。その人物の誕生した日時と出生地から天体図(ホロスコープ)を作成し、時系列で命運の推移を読み取っていく秘術だ。もともとは古代の十八人の聖者たちによって見出され、専ら口伝によって各地で継承されてきたが、その技法が途絶えることを憂いた識者たちにより、五十年ほど前から大規模に統合・編纂する運動が各地で巻き起こった。そのため、近年ヴァーラダの大都市ではジョーティシュを大衆に伝導するための学院が続々と設立されている。

 こうしたヴァーラダにおける古代の学問と芸術の復興は周囲の国々にも影響を与え、多くの人材が知識を得るためにヴァーラダを訪れる時代となっていた。

「彼のダシャーロード(運気を司る惑星)は七室を支配し・・・」
 アキュバルは葦の筆を手にしながらホロスコープの解読を続けた。
「しかし、土星と火星が五室と七室を傷付けている。それはどのヴァルガ(分割図)でも同様だ」
 ケートゥが羽ばたき、浮揚しながら言った。
「この商人には悩みがあるのでしょう。単なる商売の悩みではなく、もっと深いものが・・・」
 アキュバルは腕を振って彼らを追い払おうとした。
「これで最後だ。静かにしなければ、お前たちをこの部屋から追い出す」
「そんなことができるものか」
 ラーフは嘲笑した。
「もともとお前がおれたちを喚(よ)び出したんだからな」
 アキュバルは息を吐き、最後の計算を終えた。精密に書き込まれた図表が完成した。シンプルながらも輝くように美しい人生の地図が、彼の目の前に広がっていた。
「終わったな」
 彼は呟き、筆を置いた。

 ダル=ダランの街の中天に陽がかかる頃、扉の入り口に置かれた鈴が鳴った。
依頼人が到着したのだ。アキュバルは立ち上がり、マントを脱いで緋色の絹のローブを纏うと、戸口へと歩み寄った。絹のローブは肌に触れるとひんやりとして、動くたびにかすかな音を立てた。
「アキュバル」
 ケートゥが優しく言った。
「真実を語る時は、常に慈悲を忘れないように」
 それを聞いてラーフは鼻を鳴らした。
「慈悲?それよりも真実の痛みを味わわせた方が面白いだろう」
 アキュバルは二匹の竜を無視し、扉を開けた。

 そこに立っていたのは、灰色の髪を丁寧に結い上げた中年の男性だった。彼の衣服は質素ながらも上質な絹で作られており、腕には熟練した職人の手によるものと思われるブレスレットが鈍い輝きを放っている。その装いは彼が成功した商人であることを物語っていた。男からは乾燥した織物と高価な香油の混じった匂いがした。
 彼の目には、アキュバルがよく知る表情があった。不安と期待が入り混じったものだ。
「ジャラル・アル=ディン様」
 アキュバルは頭を軽く下げた。
「お待ちしておりました」
「星読みよ」
 ジャラルは緊張した面持ちで言った。
「すでに答えは出ているのか?」
 アキュバルは薄く笑った。
「答えは常に星の中にあります。どうぞお入りください」

 アキュバルは男を招き入れ、香の煙が漂う部屋の中心にあるクッションへと案内した。クッションは絹と綿で作られており、座ると身体が沈み込む心地よさがあった。ラーフとケートゥはジャラルの頭上で円を描くように飛んでいたが、彼にはその姿はまったく見えていないようだった。
「あいつのホロスコープを見ろよ」
 ラーフが声を上げた。
「なんて悲劇的だ」
「それは解釈によります」
 ケートゥが反論した。
「どんな運命の中にも光明はあるもの」
 アキュバルは二匹の会話を聞き流しながら、ホロスコープをジャラルに示した。
「ジャラル様、あなたの人生の星々は興味深い物語を語っています」
 彼は穏やかな声で言った。
「あなたの出生時、富を示す室(ハウス)には力強い星々が位置していました。それはあなたが 壮年期以降、商売、実業の世界において成功することを示しています。それは両親から仕事の一部、あるいはすべてを受け継ぐことで成されたものです。仕事を示す室には月や金星の影響が強い。女性向けの化粧品や香料、服飾品などの扱いに長けているでしょう」
 ジャラルはうなずいた。
「その通りだ。私は父の小さな布屋を引き継ぎ、事業を拡大させ、今やヴァーラダの南部全域に商いを広げている」
「しかし」
 アキュバルは続けた。
「土星が一年ほど前からあなたのホロスコープの第七室に影響を与えています。この土星の影響はあなたにとって芳しくない。これは人間関係、特に交易など取引において困難な時期を示しています」
 ジャラルの顔から血の気が引いた。
「では、私の疑いは正しかったのか・・・」
 アキュバルはホロスコープを指した。
「あなたの仕事仲間は過去一年間、あなたから盗んでいます。しかも、それはあなたが最も信頼していた人物です」
「ファリード・・・」
 ジャラルは息を呑んだ。
「私の妻の兄だ」
 アキュバルはうなずいた。
「家族の絆がある。しかし星は嘘をつきません。彼はファールズの商人と秘密の取引を結び、あなたの商品を安く流しています」
 ジャラルの目に怒りの炎が燃え上がった。
「私は疑っていた。以前から伝票の数字が合わないことがあったのだ。しかし、義兄のすることだから・・・」
「そして、これが最も重要なことですが」
 アキュバルはホロスコープの別の部分を指した。そこには木星、土星といった惑星が時系列順に並べられている。ジョーティシュを扱う占星術師が予言を行う際に参照するDasha(ダシャー)という技法である。
「この惑星の推移は、その裏切りがまだ始まったばかりであることを示しています。彼は今、あなたの全てを奪う計画を進めています」
「なんということだ」
 ジャラルは膝に頭を落とした。
「一体どうすれば・・・」
「申し訳ありませんが、私にお伝えできるのはここまでです」
「頼む!私はどうすればいい。教えてくれ」
 アキュバルはジャラルの目をまっすぐ見た。
「おそらく、あなたは二つの道を持っています。一つは彼を直接問いただし、話し合うこと。もう一つは・・・」
「もう一つはなんだ?」
「彼を捕らえること」
 アキュバルは冷静に答えた。

 ラーフが喜びに満ちた声で囁いた。
「そうだ、復讐を促せ」
 ケートゥは悲しげに首を振った。
「それは新たな苦しみの種を蒔くだけです」
 アキュバルは両方の声を聞きながらも、依頼人に集中した。
「あとはあなた次第です。私は星々が示すことを伝えるだけ」
 ジャラルは財布から金貨の入った小さな袋を取り出した。
「これで十分か?」
 アキュバルはそれを受け取り、掌で重さを確かめた。金貨が袋の中で互いにぶつかり合い、金属的な音が鈍く響いた。
「十分です」
「彼を破滅させる方法を教えてくれ」
 ジャラルの声は低く、危険な響きを持っていた。
「見たか?」
 ラーフが興奮して言った。
「人間はいつも同じだ。許しではなく、復讐を選ぶ」
 アキュバルは深く息を吸い込んだ。
「ファリードは南方の港町から不正な取引を行っています。次の満月の夜に彼はそこで大きな取引を行う予定です。その時、あなたはダル=ダランの役人と共に彼を捕らえることができます」
 ジャラルの表情に冷酷な微笑みが浮かんだ。
「礼を言うぞ、星読みよ。お前の言葉は星々の運行のように明確だ」
彼は勢いよく立ち上がり、目を見開いた。
「待っていろ、ファリード」
 そう言ってジャラルが去ると、アキュバルは胸から息を吐いて窓際の椅子に座り込んだ。
「またひとつ、人間の業に火をつけたな」
 ラーフは喜びに満ちた声で言った。
「まあ、こうなることはお前もわかっていたんだろ?」
 アキュバルは窓枠に頬杖を突き、ラーフを無視して窓の外を見た。ダル=ダランの街は日中の活気に満ちていた。市場の喧騒、行き交う人々の声、遠くから聞こえる鐘の音が彼の耳に届いた。多くの人々は自分たちの運命を知らずに生きている。彼らは日々の選択が将来をどう形作るかを考えることなく、ただ目の前のことに集中していた。

 アキュバルは立ち上がり、ホロスコープを片付け始めた。
「明日は別の町へ移動する。ここでの仕事は終わりだ」
「また旅か」
 ラーフは退屈そうにあくびをした。
「お前はいつになったら休むんだ?」
 窓から差し込む夕陽が部屋の壁を鮮やかな朱色に染め、砂埃の舞う空気中に光の筋を描いていた。遠くで鳴る鐘の音は、日の終わりを告げるように静かに響き渡る。
「おれの運命は旅と共にある」
 アキュバルが答えると、ケートゥは静かにうなずいた。
「そして、いつかあなたは自分自身の星を理解するでしょう」
「それまでは、他人の星を読み続けるさ」
 アキュバルは微かに笑ったが、その目には遠い何かを見つめる色があった。
 彼は荷物をまとめ始めた。明日は新たな町、新たな依頼人、そして新たな運命との出会いが待っている。



第二章 砂漠の領主


 翌朝、アキュバルは夜明け前に起床した。外は暗く、空気は夜の冷たさを残していたが、東の空がわずかに灰色に変わり始めていた。彼は少ない荷物を馬に積み込み、颯爽と跨った。馬の鼻息が冷たい朝の空気の中で白い霧となり、蹄の音だけが石畳に響いた。行き先は西の砂漠地帯にあるカラムシャハル。古代の遺跡が眠る神秘的な町だった。
「今度はどんな依頼なんだ?」
 アキュバルの頭上を飛ぶラーフが尋ねた。
「カラムシャハルの領主からの依頼だ」
 アキュバルは馬を進めながら答えた。
「彼自身の運命を読んでほしいと」
「領主?」
 ラーフの目が輝いた。
「それは大金が手に入るぞ。お前もようやく上等な客を引き当てたな」
「彼は運命を読むだけではなく、何か別のことを求めているはずです」
 鞍の後部に舞い降りたケートゥがひそやかな声色で言った。
「領主たちはいつも最も暗い秘密を抱えています」
 アキュバルは無言で馬を進めた。街の門を抜け、広大な平原に出ると、東の空が朝焼けに染まり始めていた。朝日が地平線を染め始め、草原に黄金色の光を投げかけた。草の葉先には朝露が光り、風が吹くたびに銀色に輝いた。

 三日間の旅の後、アキュバルはカラムシャハルに到着し、依頼人の従者に案内されながら門を潜った。そこは砂漠の中に佇む古代の町だった。太陽の光が強烈に照りつけ、砂は足の下でかすかに音を立て、熱を帯びた風が彼の頬を撫でた。かつての栄華を物語る巨大な石造りの門は時間の経過とともに風化していたが、その威厳は失われていなかった。
 街の建築を見渡しながら、アキュバルは故郷ファールズの風景を思い出していた。青と金で装飾されたモザイク、幾何学模様が精緻に彫られた石柱、広場を取り囲む尖塔とドーム。
「ここはヴァーラダで最も西の町です」
 アキュバルを案内する従者が説明した。
「私たちはファールズの影響も受けています」
 アキュバルは「なるほど」とうなずいた。道行く人々の風俗、そして彼らが纏う風にさえファールズの趣がある。建築に関しても職人たちはファールズと同じ技法を用いているようだったが、砂漠の影響か、より素朴で実用的な様式に変化していた。
 この町は二つの文化が交わる境界にあった。そしてしばしば、境界地帯は最も多くの秘密を抱えている場所だった。
「かつてここは偉大な貿易の中心地だったのですが」
 従者は続けた。
「砂漠が広がり、古代の道が消えてからは・・・」
 彼は言葉を途切れさせた。
「時の流れ(カーラ)は全てを変える」
 アキュバルは静かに言った。

 アキュバルは三つの高い塔が立ち並ぶ領主の館に案内された。館は砂岩でできており、複雑な彫刻が施されていた。それはヴァーラダの伝統というより、やはりファールズ諸国の建築様式に近かった。中央の広間は涼しく、天井高く、カーペットとクッションが豪華に敷き詰められていた。壁には複雑な幾何学模様が描かれ、薄い絹のカーテンがそよ風に揺れていた。部屋には薄荷(はっか)と檀香(だんこう)の香りが漂い、天井から吊るされた真鍮の燭台が柔らかな光を投げかけていた。
「星読みの者よ」
 深い声が広間に響いた。アキュバルが振り向くと、黒檀の椅子に座った老人が彼を見つめていた。彼は長い白髪と髭を蓄え、真珠とルビーで装飾された濃紺のローブを身につけていた。
「カラムシャハルの領主、マフムード・アル=ラシード様です」
 従者が紹介した。
 アキュバルは深く頭を下げた。
「お呼びいただき光栄です、領主様」
「お前のことは聞いている」
 マフムードは目を細めた。
「西の神学校(マドラサ)で学び、東の秘術を会得した男。そして今は放浪の占星術師だという」
「噂話が先行しているようですね」
「お前の予言が外れたことはないと聞く」
 アキュバルは肩をすくめた。
「それはいささか大袈裟かと。あと私は予言者ではありません。星々が示す道を読み解くだけです」
 マフムードは薄く笑った。
「謙虚さも評判どおりだ。しかし私は結果だけを求める。お前の技術がどれほどのものか見せてもらおう」
「奴は疑っているぞ」
 ラーフがアキュバルの耳元で囁いた。
「お前の力を試そうとしている」

「あなたの出生の詳細が必要です。月日、場所、そして正確な時刻まで」
 マフムードは従者に合図した。老人が巻物を持って現れ、アキュバルに手渡した。その巻物は古く、開く時にはかすかに紙がきしむ音がした。
「すべてここに記されている」
 アキュバルは巻物を開き、目を通した。そこには領主の生まれた日、時間、場所が詳細に記されていた。アキュバルは少し驚いて眉を上げた。
「非常に正確に記されていますね」
「私の父、先王ジャムカは熱心な天文学者でもあった」
 マフムードは答えた。
「彼は私の誕生の瞬間を星々と結びつけることを望んでいた」
 アキュバルはうなずいた。
「では、資料を作成するために時間をください。明日の日没までには答えをお持ちします」
「いや」
 マフムードは手を上げた。
「お前の力を見込んで頼みたい。この場で私の寿命を読んでもらおう」
「しかし・・・」
 アキュバルが遮るように答えようとすると、マフムードは低い声で言った。
「私に残された時間を知りたいのだ。今、この場で」
 部屋に沈黙が流れた。
「奴は死を恐れている」
 ラーフが囁いた。
「古い男の最後の不安だ」
「いえ。彼はもっと多くを恐れています。彼の目には後悔の影があります」
 ケートゥが穏やかに言った。
 アキュバルは深く息を吸った。
「わかりました」

 アキュバルは手渡されたマフムードの出生日や出生時刻を元に、素早く頭の中で考えをめぐらせた。ホロスコープを描き、関連したヴァルガ(分割図)を導き出し、主要なダシャーの計算を行った。これはすべて手や筆を用いず、彼の想像の中で行われた。驚くべきことだったが、この計算(ガニタ)の能力に関しては彼には天賦のものがあった。それがゆえに、ヴァーラダの学院では「百年に一人の逸材」と評されたものだったが、彼自身はその評判自体を快く思っていなかった。
「あなたの出生図において、月は蟹座(カルカ)に位置しています。月の星宿(ジャンマ・ナクシャトラ)はプナルヴァス。誕生は五の月の初旬、日没直後。上昇星座(ラグナ)は天秤座。太陽はデーヴァローカで類まれな強さを持っています。出生後のダシャーの推移を考えると、あなたのお生まれになった直後、国は多くの戦乱や飢饉に見舞われたでしょう」
 アキュバルは目を伏せながら朗々と述べた。
「その通りだ」
 マフムードは驚愕した。
 彼は父ジャムカから自らのホロスコープを手渡されていた。今でも星を読むことはできないが、そこに記された惑星の位置関係はよく記憶している。
「お前の頭の中には、ヴァーラダの暦と天体の配置が完全に刻まれているのか?」

 しばらく黙って考えをめぐらせたあと、アキュバルは静かに言った。
「あなたのホロスコープにはアルパーユ(短命)の要素が少ない。太陽も月も強く、八室も強力な土星と水星の影響下にあります。長寿でしょう」
 マフムードはわずかに笑った。
「私はすでに齢七十を超えている。それ以上の寿命など望めないだろう」
「今は困難な時期かもしれません。しかし、今後訪れるダシャーは祝福を示しています」
 アキュバルは続けた。
「あなたの行く先には、まだ多くの年月が広がっています」
「おや」
 マフムードは驚いたように見えた。
「それは喜ばしいことだが・・・」
 彼は言葉を途切れさせた。
「あなたは何か別のことを心配しているようですね」
 アキュバルは老人の目を見た。
「それは死ではなく、何か別のことです」
 マフムードは沈黙した後、従者たちに手を振った。
「下がれ。私はこの男と二人で話したい」

 従者たちは足音を立てずに部屋を出ていった。扉が閉まると、マフムードは椅子から立ち上がり、壁際の窓まで歩いた。彼の足取りは年齢の割には確かだったが、時折わずかに不安定になるのが見て取れた。
「私は多くの秘密を持つ男だ、星読みの者よ」
 彼は窓の外を見つめながら言った。
「そして、その多くは私自身と共に墓に持っていくつもりだ」
「しかし、あなたは何かを明かしたいと思っている」
 アキュバルはマフムードの背中を見ながら言った。
「そうでなければ私をここに呼びはしなかったでしょう」
 マフムードはゆっくりとアキュバルの方を向いた。窓から差し込む光が彼の姿を半分だけ照らし、残りを影の内に隠した。
「私には息子が二人いる。長男のカリム、次男のタリクだ。私の死後、長男が領主の座を継ぐことになっている」
「それが慣習ですね」
「だが、私は次男が継ぐべきだと思っている」
 マフムードは落ち着いた声で言った。
「カリムは血の気が多く、短慮にすぎる。彼の決断は時に民のためであっても、その方法があまりに急進的で危険だ。彼が領主になれば、この町は混乱に陥るだろう。一方、タリクは冷静で思慮深い。彼なら秩序を保ちながら町を導けるだろう」
「そして、あなたはこの決断を下す前に、星々の意見を求めたいのですね」
 マフムードは笑った。
「いや、私の決断はすでに固まっている。私はお前に別のことを求めている」
「何をお望みですか?」
「私は遺言状を書いた」
 マフムードは低い声で言った。
「タリクを後継者に指名する内容だ。しかし、カリムがそれを知れば・・・」
 彼は再び言葉を途切れさせた。
「彼は何を企てるかわからない」
 アキュバルは静かに言葉を継いだ。
 マフムードは同意した。
「だが、もしカリムが私の決断は星々の意志によるものだと信じれば・・・」
 アキュバルは理解しはじめた。
「あなたは私に偽りの占いをさせようとしているのですね」
 マフムードは首を振った。
「偽りではない。私はただ、お前の言葉が私の意図を支持することを望んでいるだけだ」
「お前は利用されようとしているぞ。政治の道具としてな」
 ラーフが耳元で警告した。
「これは星読みの仕事ではありません」
 ケートゥが冷ややかに言った。
 アキュバルは穏やかな口調で申し出た。
「領主様、私は占星術を政治的な道具として使うことはできません」
 マフムードは目を見開いた。
「お前は星々にそこまで忠実なのか?」
「私は真実に忠実でありたいのです」
 アキュバルは答えた。
「しかし、お二方の出生図を作成し、彼らの本質と将来の統治者としての適性を読み解くことはできます」
 マフムードは長い間アキュバルを見つめた。
「・・・わかった。それで十分だ」
 彼はようやく言った。
「お前は正直な男だ。それはこの世界では稀な資質だ」
「では明日、カリム様とタリク様の出生図を作成します」
 アキュバルは言った。
「それには彼らの出生時の正確な情報が必要です」
 マフムードはうなずき、再び従者を呼んだ。
「この男に部屋を与え、必要なものは全て用意せよ。そして、息子たちの出生記録を持ってくるように」

 アキュバルは従者に導かれて部屋に案内された。それは豪華な客室で、柔らかいクッション、絹の敷物、そして冷たい水で満たされた銀の水差しが用意されていた。窓からは砂漠の広大な景色が広がり、遠くに見える砂丘は夕陽を受けて黄金色に輝いていた。部屋には砂漠の花の香りと、どこからか聞こえてくる遠い弦楽器(ウード)の調べが漂っていた。
「見事な部屋だな」
 ラーフは部屋の周りを飛びながら言った。
「気前がいい老人だ。まあ、せいぜいくつろがせてもらおうぜ」
 アキュバルは窓際に置かれた椅子に座り、旅の疲れを癒した。しばらくして従者が戻り、二つの巻物を持ってきた。
「マフムード様のご子息の出生記録です」
 彼は言った。
「長男カリム様と次男タリク様の情報が全て記されています」
 アキュバルは巻物を受け取り、広げてみた。
「これはまた素晴らしく詳細ですね」
「マフムード様は、カリム様たちが生まれた時も同じように天文学者を呼び、星々の位置を正確に記録させました」
 従者は説明した。
 アキュバルはうなずいた。
「ありがとう。明日までに答えを用意します」

 従者が去ると、アキュバルは作業に取りかかった。二人のホロスコープを並べて作成し、惑星の配置、様々な室(ハウス)の影響力、そしてダシャーの推移を分析した。
「興味深い」
 彼はつぶやいた。
「とても興味深い」
「おい、何が見えるんだ?」
 ラーフが好奇心を示した。
「この二人の出生図は、似ているようで大きく異なっている」
 アキュバルは答えた。
「長男のカリムの一室と十室は凶星の強い影響下にある。彼は武勇に優れるが、力への渇望が強い。一方、次男のタリクは木星と水星の影響が強い。彼は何よりも調和と道徳を重んじるだろう」
「では老人の判断は正しかったのだな」
 ラーフは言った。
「単純ではありません」
 ケートゥが介入した。
「力は必ずしも悪ではなく、優しさは必ずしも良い統治者を作りません」
 アキュバルは明け方までホロスコープを研究し続けた。彼が見つけたことは、単なる兄弟の性格の違い以上のものだった。そこには運命の糸が絡み合い、未来の道が描かれていた。



第三章 兄弟の運命図


 翌朝、アキュバルは日の出とともに目を覚ました。窓から差し込む光が部屋の壁に複雑な模様を描いていた。砂漠の朝の空気は澄んでいて、驚くほど冷たかった。彼はほとんど一晩中、二人の兄弟の出生図を研究し、その意味を深く考えていた。
 アキュバルはゆっくりと起き上がり、身支度を整えた。彼の頭の中には昨夜の発見が渦巻いていた。カリムとタリクの運命は、彼が最初に考えていたよりも複雑に絡み合っていた。
「二人の兄弟の運命は、単純に良い弟と悪い兄というわけではない」
 アキュバルは沈思しながら言った。
「彼らの素質と運命は交差し、互いに影響し合っている」
「お前はその真実を老人に伝えるのか?」
 ラーフは興味深そうに尋ねた。
「奴が聞きたいのは単純な答えだぞ。『はい、タリクが良い統治者になります』と言えば、すべてが解決するのに」
「そうすればお前は満足か?」
 アキュバルは作成したホロスコープなどの資料を真鍮の筒の中に押し込みながら、ラーフを見た。
「おれが求めているのは、常に単純な真理さ」
 珍しく、ラーフは真剣な面持ちで言った。

 アキュバルは用意された朝食を取った後、領主に謁見するために呼ばれた。大広間には今回、マフムードだけでなく、彼の二人の息子も座っていた。
息子たちは年も近く、三十代半ばに見えた。長男カリムは父親に似て長身だったが、よりたくましい体格をしていた。彼の目は鋭く、常に周囲を警戒しているかのようだった。彼は暗い赤色のローブを身につけ、腰には装飾された曲刀を下げていた。
 対照的に、次男タリクは柔和な顔立ちで、穏やかな微笑みを浮かべていた。彼は淡い碧色のローブを着て、胸には銀の三日月の飾りを付けていた。
「星読みの者よ」
 マフムードは椅子に座りながら言った。
「一晩中、息子たちの運命を読んでいたそうだな」
「はい、領主様」
 アキュバルは答えた。
「彼らの出生図を隅々まで研究しました」
「そして?」
 マフムードは期待に満ちた表情で尋ねた。
アキュバルはカリムとタリクを交互に見た。二人とも彼の言葉を待っているようだった。
「二人の運命は興味深いものです」
 アキュバルは慎重に話し始めた。
「カリム様の人格・個性・職務は火星や太陽といった凶星の強い影響下にあります。これは彼が力強い指導者になる素質を持っていることを示しています。彼には困難に立ち向かう勇気と決断力があります」
 カリムはそれを聞いてわずかに微笑んだ。
「一方、タリク様は木星や水星といった吉星の影響が強い。これは彼が公正で思いやりのある指導者になることを示しています。彼は調和を重んじ、人々の幸福を何よりも大切にするでしょう」
 タリクは静かに彼の言葉を傾聴しているようだった。
 マフムードはアキュバルを見つめた。
「では、誰が私の後を継ぐべきだと星々は語っているのか?」
 アキュバルは深く息を吸った。
「それは複雑な質問です、領主様。星々は時に単純な答えを与えてはくれません」
「なら、お前の判断を聞かせよ」
 マフムードは言った。
 アキュバルは二人の兄弟を見た。
「カリム様は力強い指導者になるでしょう。彼の下でカラムシャハルは強く、敵に恐れられる町となります。しかし」
 彼は一瞬間を置いてから言葉を継いだ。
「彼の統治は公平さを欠き、多くの人々は不満を抱くかもしれません」
 それを聞いたカリムの顔に険しい色が浮かんだ。
「タリク様は優しい指導者となるでしょう。彼の下で町は平和と繁栄を享受します。しかし、彼の優しさは時に弱さと見なされ、敵に付け入る隙を与えるかもしれません」
「それで」
 マフムードは再び尋ねた。
「結論は?」
 アキュバルは深く考えた。彼が昨夜見つけたことは、単なる兄弟の性格の違いだけではなかった。彼らの星は奇妙な形で交差していた。
「星々は別の道を示しています」
 アキュバルは言った。
「二人で統治するという道を」

 広間に静寂が流れた。
「二人で?」
 マフムードは困惑した様子で繰り返した。
「はい」
 アキュバルは確信を持って言った。
「カリム様の力とタリク様の知恵が合わさるとき、カラムシャハルは最も栄えます。彼らの星は互いを補完するように配置されています」
「馬鹿げたことを」
 カリムが立ち上がった。
「権力は分かち合うものではない。一人の強い指導者が必要なのだ」
「兄上」
 タリクは穏やかに言った。
「星読みの言葉を聞きましょう」
「くだらない占いを信じるつもりか?」
 カリムは弟を見下ろした。
「この男は単なる詐欺師だ」
「カリム、あまり性急に判断しないように」
 マフムードは手を上げた。
「この男の腕は確かだ」
 カリムは不満そうに座り直した。
「父上がそう言うのなら」
 アキュバルは続けた。
「カリム様のホロスコープには興味深い特徴があります。彼の第十室、つまり職務と社会的地位の室(ハウス)に土星とケートゥが位置しています。これは彼が重い責任を背負うことを示していますが、同時に孤独な道を歩む可能性も示しています。しかし、弟をあらわす第三室には木星が入室し、十室の支配星に強く絡んでいます。これは彼の統治における弟の助力を示しています」
 アキュバルはもう一方の手に別の図面を取り出して、話を継いだ。
「一方、タリク様の第七室、つまり協力関係の室(ハウス)には兄をあらわす第十一室を支配する火星があり、十室の支配星に影響しています。これは彼が兄を支え、共に事業を成すことを示している。つまり、兄弟のホロスコープにそれぞれお互いの人生が映り込んでいるわけです」
 カリムは目を見開き、タリクは微かに息を飲んだ。
「運命共同体(インターリンクド・ディスティニー)。私たち占星術師はこの現象をそのように呼んでいます。そして最も興味深いことに」
 アキュバルは二人を交互に見た。
「二人の月の位置は蠍座(ヴリシュチカ)と牡牛座(ヴリシャ)。これはちょうど向かい合う位置関係であり、二人が互いを補完するように運命づけられていることを示しています」

「興味深い理論だ」
 マフムードは顎鬚をなでながら言った。
「だが、カラムシャハルは常に一人の領主によって統治されてきた」
「時には新しい道を探る必要があります」
 アキュバルは言った。
「古い道が砂に埋もれつつあるときには」
 マフムードは窓の外を見つめた。砂漠の風が砂を運び、古代の遺跡の一部をさらに深く埋めていくのが見えた。遠くでは砂嵐が立ち始め、黄褐色の雲が地平線に横たわっていた。
「考えてみよう」
 黙考の後、彼はついに言った。
「お前の言葉は興味深い、星読みの者よ」
 アキュバルは深々と頭を下げた。
「最終的な決断はあなた方のものです」
「愚かしいことだ」
 カリムは低い声で言ったが、彼の目には不安の色が浮かんでいた。

 その日の残りの時間、アキュバルは町を散策することを許された。カラムシャハルは砂漠の真ん中にあるオアシスのような存在だった。町の中心には古代の噴水があり、地下水が湧き出していた。周囲には市場があり、砂漠のキャラバンがもたらした様々な商品が並んでいた。香辛料と革の匂い、商人たちの掛け声、遠くから聞こえるラクダの鳴き声が空気に満ちていた。
「素晴らしい場所ですね」
 ケートゥが周囲を見回しながら言った。
「砂漠の真ん中の楽園」
「すぐに砂に飲み込まれるだろうな」
 ラーフは皮肉を込めて言った。
「人間の創造物はすべて一時的なものだ」
 アキュバルは古代の遺跡を見上げた。かつてこの町はもっと大きく、もっと繁栄していたという。砂漠が広がる前の時代の名残だった。

「星読みの者・・・アキュバル」
 声がした方を向くと、タリクが彼に近づいてきた。彼は町人のような簡素な服装に着替えていた。亜麻布の衣服は身体にぴったりと合い、質素ながらも上質な生地で作られていた。
「タリク様」
 アキュバルは頭を下げた。
「何かご用でしょうか?」
「私に話したいことがあるのではないですか?」
 タリクは静かに尋ねた。
「広間では言えなかったことを」
 アキュバルは周囲を見回した。
「ここで話すのは安全ですか?」

「ここなら」
 タリクは彼を古い神殿の廃墟に導いた。
「誰も来ない場所です」
 神殿の中は涼しく、半分砂に埋もれた柱が天井を支えていた。壁には古代の神々の彫刻が施されていた。その空間には独特の静けさがあり、外の世界の音は遠く消え去っていた。石の壁は冷たく、古い香料と土の匂いが漂っていた。
「あなたは本当の話をしていなかった」
 タリクは直接的に言った。
「少なくとも、全てを話してはいなかった」
 アキュバルはうなずいた。
「鋭い観察力をお持ちですね」
「父は死にかけています」
 タリクは低い声で言った。
「父は誰にも言っていませんが、私は気づいています。彼の顔色、息遣い、そして彼が秘密に医師と会っていることから」
「それで私を呼んだのですね」
 アキュバルは理解した。
「彼は後継者を決める必要があった」
「そして彼は私を選びたがっていた」
 タリクは苦笑した。
「父は常に私を溺愛してきました。一方、カリムには厳しかった」
「あなたの星は実際、統治者としての資質を示しています」
 アキュバルは正直に言った。
「しかし、それだけではありません」
「本当のことを話してほしい」
 タリクは彼の目をまっすぐ見た。
「運命が何を語っているのか」
 アキュバルは深く息を吸いこんだ。冷たい石の空気が彼の肺を満たした。
「あなたの兄、カリムの命運には暗い影があります。彼が単独で統治すれば、彼は次第に周囲から孤立し、最終的に内乱によって倒されるでしょう」
 タリクはうなずいた。
「彼は常に独りで、怒りに満ちていました。父からの承認を得られなかったから」
「一方、あなたが単独で統治すれば」
 アキュバルは続けた。
「町は最初は平和を享受するでしょう。しかし、あなたの優しさは外敵に弱さと見なされ、最終的にカラムシャハルは侵略されるでしょう。いずれにしても待ち受けているのは、最悪の結末です」
「そして、共同統治という提案は?」
「それが最も明るい未来です」
 アキュバルは確信を持って言った。
「あなたの知恵と兄の力が結びつけば、町は再び栄えるでしょう。古代の遺跡が砂から掘り起こされ、新たな貿易路が開かれます」
 タリクは廃墟となった神殿を見回した。
「この町には過去の栄光がある。私はそれを取り戻したいのです」
「しかし、問題があります」
 アキュバルは抑えた声で言った。
「カリムはあなたと権力を共有する気はないでしょう」
「いや、兄は同意するかもしれません。適切な方法で説得すれば」
 タリクははっきりとした口調で言った。
「彼は粗野な人間ではありません」
 タリクは続けた。
「ただ、傷ついているだけ。父から愛されていないと感じている」
「そして彼が最も恐れているのは?」
 アキュバルは尋ねた。
「置き去りにされること」
 タリクは答えた。
「価値がないと判断されること」
 アキュバルはうなずいた。
「それは彼のホロスコープにも現れています。凶星の強い影響が、承認を求める深い欲求を示しています」

 タリクは神殿の奥へと歩み、古い壁画の前で立ち止まった。アキュバルも後に続き、壁画を覗き込んだ。
 そこには二つの山の間に流れる川が描かれていた。かつては一つだった山が、時の流れによって引き裂かれた姿。カラムシャハルでは「ダビスィーラ・ヴォルク(双頭の狼)」と呼ばれ、古くより崇められる聖なる山だ。壁画の色彩は褪せていたが、太陽の光が石の上に特殊な輝きを生み出していた。
「五年前。ある砂漠の部族が領境を侵した夏のことです。父は部族の侵攻に対処するために出征し、不在でした」
 タリクは静かに語りはじめた。
「川の水が干上がり、飢饉が町を覆った時、兄は父の禁を破り、王家の宝物庫を開けました」
 タリクの長い指先が壁画の川の流れをなぞった。
「兄は先祖伝来の黄金の杯などの宝物を、カラムシャハルを訪れていた商隊に売り払ったのです。その代わりに彼らの運んでいた穀物や果物を受け取り、飢えた民に食料を分け与えました」
 強い陽射しが神殿の窓から差し込み、壁画に影を落とした。
「父が領境から戻った夜、大広間は静寂に包まれていました。彼が売った品の中には、周囲の部族から友好の証として納められた宝物も含まれていたのです。父は激しく叱責し、兄の頬を殴りました。しかし兄は一言も弁解しませんでした」
 アキュバルはタリクの話を聞きながら神殿の石の柱に手を添え、冷たさを感じた。それは父子の間に流れる、冷たく暗い川の水を想起させた。
「兄が町の危機に立ち向かっていた時、私はただ書物の中に安全を求めていました」
 タリクは胸の前で掌を固く握りしめた。
「私は帰って兄と話します」
 タリクは決意を示した。
「父が亡くなる前に、この問題を解決しなければなりません」
「もともと兄弟の間には強い絆があります」
 ケートゥが青い目を瞬かせながら言った。
「彼らは互いを必要としています」
「しかし、嫉妬と怒りがその絆を壊すかもしれないぞ」
 ラーフが警告した。
「人間の弱さは常に彼らの崇高な目標を打ち砕く」

 アキュバルは神殿の天井を見上げた。
「この場所には古い神々の力が残っています。彼らは団結と調和を重んじた」
「古代の知恵は失われていないのですね」
 タリクは微笑んだ。
「ところで、あなたの肩に何かいるように見えますが・・・」
 彼は目を細めた。
 アキュバルは驚いた。
「あなたには見えるのですか?」
「時々、影のようなものが」
 タリクは答えた。
「子供の頃から、普通の人には見えないものが見えることがありました」
「彼には才能があります」
 ケートゥは興奮した様子で言った。
「境界を超えて見ることができる」
「これは面白い展開だ」
 ラーフも驚いた様子だった。
 アキュバルは慎重に言った。
「あなたが見ているのは、ラーフとケートゥです。古代の竜で、私の旅に同行しています」
「ラーフとケートゥ・・・古書で読んだことがあります。神代の昔、不死の力を得たといわれる二匹の竜・・・」
 タリクは驚いたように見えたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「父は私の『想像力』を心配していました。しかし、それは他の人には見えないものを見る能力だったのですね」
「その能力はあなたを優れた統治者にするでしょう」
 アキュバルは言った。
「あなたは表面的なものを超えて真実を見ることができる」
 タリクはうなずいた。
「ありがとう、アキュバル。あなたの言葉は私に勇気を与えてくれました」

 彼らが神殿を出ようとしたとき、突然叫び声が聞こえた。
「タリク様!タリク様!」
 若い従者が走ってきた。
「タリク様、大変です!領主様が倒れられました!」
 タリクの顔から血の気が引いた。
「父が?」
「はい、突然胸を押さえて・・・」
 タリクはアキュバルを見た。
「来てください」



第四章 砂の道の彼方に


 彼らは急いで領主の館に戻った。石畳の上を走る足音が夕暮れ前の空気の中に響きわたった。マフムードは自分の寝室に運ばれ、医師たちが彼の周りに集まっていた。部屋には薬草と香油の匂いが充満し、緊張感に満ちていた。カリムは父親のベッドの傍らに立ち、暗い表情で見下ろしていた。
「父上!」
 タリクが部屋に駆け込んだ。
 マフムードは弱々しく目を開けた。
「息子たちよ・・・」
 彼の声はかすれていた。
「静かに」
 医師の一人が言った。
「領主様には休息が必要です」
「何が起こったのですか?」
 タリクは医師に尋ねた。
「心臓の発作です」
 医師は低い声で答えた。
「以前にも何度かありました」
「何度も?」
 カリムは驚いたように見えた。
「なぜ私たちに話さなかったのだ?」
「領主様は誰にも心配をかけたくなかったのです」
 医師は言った。
 マフムードは震える手で息子たちを呼び寄せた。
「カリム、タリク。私に残された時間は少ない」
「父上、そんなことを」
 タリクは言いかけたが、マフムードは手を上げて彼を止めた。
「聞くのだ」
 彼は言った。
「私は遺言状を書いた。私の死後・・・」
 しかし突然咳き込み、マフムードは言葉を続けられなくなった。医師たちが彼に水を与え、薬を準備し始めた。
「皆さんご退室ください」
 医師長が命じた。

 カリムとタリクは渋々部屋を後にした。アキュバルも後に続いた。廊下でカリムはタリクに向き直った。
「父は誰を後継者に選ぶつもりだった?」
 彼の声は低く、緊張に満ちていた。
「それが重要なんですか?」
 タリクは尋ねた。
「父上は今生死の境にあります」
「今でこそ重要だ」
 カリムは厳しく言った。
「町の未来がかかっている」
 タリクはアキュバルを見た。
「星読みの者は私たちに答えを与えてくれました。二人で統治するという答えを」
「馬鹿げている」
 カリムは言った。
「それは伝統に反する」
「時には伝統を変える必要があります」
 タリクは静かに言った。
「古い道が砂に埋もれつつあるときには」
 カリムは弟を長い間見つめた。
「お前はそれを本気で提案しているのか?」
「兄上、私たちはどちらも独りでは十分ではありません」
 タリクは真剣な表情で言った。
「あなたの武勇と私の知識が合わさることで、カラムシャハルは再び偉大になれるのです」
「そいつの言葉には説得力がある」
 ラーフがアキュバルの耳元で呟いた。
「見事だな」
「彼は真実を語っています。星が示す通りに」
 ケートゥは静かに言った。

 カリムは窓の外を見つめた。カラムシャハルは間もなく過酷な夏季を迎える。熱を帯びて唸る砂漠の風がカラムシャハルの町を少しずつ埋めていくのが見えた。
「父は常にお前をおれより高く評価していた」
 彼は何かを絞り出すように言った。
「父はきっとお前を選ぶつもりだった」
「それは関係ありません」
 タリクは一歩踏み出し、カリムの肩に手を置いた。一瞬カリムの肩が硬くなったが、彼はその手を振り払わなかった。
「重要なのは町の未来です。そして星々は私たちが共に統治すべきだと語っています」
 カリムはゆっくりと顔を上げ、アキュバルを見据えた。
「星読みよ、お前は本当にそう思うのか?」
 アキュバルはカリムの視線を真っ直ぐに受け止めた。
「二人の星は互いを補完するように配置されています。一方が導き、もう一方が支える。そうすれば、カラムシャハルは砂から再び立ち上がるでしょう」

 窓は一部開け放たれており、砂の混じった風がカリムの暗い赤色のローブを揺らした。しばらく重い沈黙がその場を支配した。
「タリク様に聞きました。五年前の飢饉のことを」
 アキュバルはカリムに言った。
「あなたには強さだけでなく、真に民を想う心がある」
「タリク・・・余計な話を」
「兄上」
 タリクはカリムに問いかけた。
「兄上は後悔されているのですか?あの日のことを」
 カリムは一瞬驚いたようだった。押し黙った彼が再び語りはじめた時、その声は記憶を辿るように次第に穏やかになった。
「・・・いや。王家の蔵を開けた時、おれは覚悟していた。父の怒りを」
 彼は左の頬を無意識に撫でた。五年前、マフムードの拳が落ちた場所だ。
「しかし・・・」
 カリムの掌の下で何かが疼き、彼はわずかに顔をゆがめた。カリムは視線を地に落としたまま、傍らのタリクに言った。
「おれを責めなかったのはお前だけだった」
 タリクは静かにうなずいた。
「私は兄上が正しいことをしたと思っていました。今でもそう思います」
 カリムはゆっくりと視線を上げ、弟の顔を見た。
「父上はあの仕打ちをずっと後悔していました」
 タリクがそう言うとカリムは思わず言葉に詰まり、深く息を吸った。
 砂漠の風がさらに強くなり、塔の外壁にぶつかる音が廊下まで響きわたった。
「この町は私たちだけのものではありません。祖父や曾祖父、その前の祖先たちから受け継がれ、託されたものです」
 タリクは兄の顔を正面から見た。
「共に起ちましょう、兄上」

 長い沈黙が訪れた。
 砂漠の地平線が夕暮れ時に見せる微妙な色彩の変化のように、カリムの表情は別の何かへと移ろいつつあった。陽が山々の稜線の彼方に近づき、砂岩の塔の影が長く伸び始めたころ、彼はついに言った。
「おれがアル=ラシード家の長として公の場に立ち、お前が内政と学問を担当する」
 カリムは弟に向き直った。
「それなら受け入れられる」
 タリクは微笑んだ。
「そのようにしましょう、兄上」
 タリクはカリムの腕を取った。長い間培われてきた緊張が、少なくとも一時的に解消されたかのようだった。
「人間には時に驚かされるな」
 ラーフは感心したように言った。
「彼らは最も予期せぬ瞬間に賢明になる」
「彼らの心の中には常に光(Jyoti)があるのです」
 ケートゥは呟いた。
「ただ、それを見つけ出すのが難しいだけ」

 三日後、マフムードの容態は安定した。彼は弱っていたが、医師たちは最悪の事態は脱したと宣言した。彼が息子たちの和解と共同統治の計画を聞いたとき、彼の顔に安堵の表情が広がった。
「私は心の中でこの道を望んでいたが」
 彼は弱い声で言った。
「しかし、まさかカリムがそれを受け入れるとは思わなかった」
 アキュバルはマフムードの寝室で彼と話していた。彼の仕事は完了し、次の目的地に向かう準備ができていた。
「それは私もです」
 マフムードは意外そうな顔でアキュバルの顔を見た。
「お前は、カリムが提案を受け入れることを見越していたのではないのか?」
「いいえ。そうなるにせよ、私はもう少し違う道筋を辿ると思っていました。しかし、私の想像を超えて」
 アキュバルは窓の外に視線を投げかけた。
「彼らの絆が強かったということでしょう」
「アキュバル」
 マフムードは言った。
「お前に感謝する。お前がいなければ、私の死後、この町は混乱に陥っていただろう」
「私はただ星々が示すことを伝えただけです」
 アキュバルは言った。
「そして、それは正しかった」
 マフムードはそう言ってうなずいた。
「カリムとタリクは二日間、町の復興計画について話し合った。彼らは古代の遺跡を掘り起こし、新たな貿易路を開こうとしている」
「それは賢明な決断です」
「しかし父として、カリムの痛みを分かち合えるほど、私は賢明ではなかった」
 マフムードはゆっくりと上半身を起こした。
「お前への報酬だ」
 マフムードは枕元の小箱を指した。
「開けてみろ」
 アキュバルは箱を開けた。中には金貨の山と、古びた羊皮紙の巻物があった。
「金貨はお前の技術への対価だ」
 マフムードは言った。
「しかし、巻物はそれ以上の価値がある。それは古代のジョーティシュの知識だ。砂漠の遺跡から発見されたものだ」
 アキュバルは驚いて巻物を取り上げた。
「これは・・・」
「お前ならそれを理解できると思った」
 マフムードは微笑んだ。
「それは失われた知識だ。砂の下に何世紀も眠っていた」
「これは貴重な贈り物です」
 アキュバルは感謝の意を表した。
「ありがとうございます」
「今度はどこへ行くのだ?」
「北へ」
 アキュバルは答えた。
「ヴァーラダの北部に向かいます」
「そこに何を求めている?」
 アキュバルは少し躊躇った後、正直に答えた。
「自分自身の過去を。私は孤児でした。生き別れた姉がいるかもしれないと聞いています」
「なるほど」
 マフムードはうなずいた。
「だから星を読むのだな。自分自身の運命を知るために」
「ある意味では」
 アキュバルは認めた。
「私からもう一つ助言を」
 マフムードは言った。
「北へ向かうなら、エル=バシールに立ち寄るとよい。そこは北方の境界の町だ。ヴァーラダとガラムファラの間にある。遊牧民族の文化が流入する場所で、多くの情報が流れている」
「エル=バシール・・・」
 アキュバルはその名を忘れぬように繰り返した。

 翌日、アキュバルはカラムシャハルを出発した。朝の涼しい空気の中、馬の蹄の音が静かな街に響いた。カリムとタリクが彼を見送りに来た。
「あなたの知恵に感謝します」
 タリクは言った。
「もし再びカラムシャハルを訪れることがあれば、あなたは常に歓迎されるでしょう」
「また何か依頼させてもらうかもな」
 カリムが付け加えた。
「我々の町が再び栄えるとき、あなたが果たしてくれた役割を思い出すだろう」
 アキュバルは頭を下げた。
「二人の統治の下、この町が繁栄することを願っています」
「さようなら、いにしえの竜よ」
 タリクがそう呟くと、カリムは不思議そうな顔で弟の顔を見た。

 アキュバルは馬に跨り、北の方角に向かって出発した。砂漠を抜け、より緑豊かな地域に入ると、風景は徐々に変化していった。乾燥した砂地は草原に変わり、点在する村々が見えるようになった。
「古代の巻物か」
 ラーフは興味深そうにアキュバルの荷物を見た。
「何が書かれているのだろうな」
「きっと偉大な知恵でしょう」
 ケートゥは期待に満ちた声で言った。
「失われた技法や、星々の新たな解釈が」
「今夜、宿に着いたら調べよう」
 アキュバルは約束した。
 陽はまだ高い。
 彼は馬を走らせながら、タリクと話した神殿の廃墟を思い起こした。静謐な神々の彫刻と、川に引き裂かれた双頭の狼を。神殿は古い祝祭の記憶を宿しながら、ただそこに在った。
 やがてカラムシャハルの空に夏の月が浮かぶ時、彼らはこの土地を去ることになるだろう。
 彼の頭上では二匹の竜が螺旋を描いて舞っていた。まるで見えない糸で繋がれた運命の車輪のように。

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